Bookの最近のブログ記事

10月9日、Gérard Xuriguera 氏が企画する恒例の金曜日の昼食会は、ドラゴン通りのイタリア・レストランENZO で、13時から始まりました。
地下の丸いテーブルにコレクターや小説家、画家、彫刻家、写真家10数名が集まり、楽しい情報交換や最近話題になっている話等々、今日はミッテラン仏文化相の話で盛り上がりました。

彼の自叙伝風の著書「ふしだらな生活」(2005年出版)は、ここに来て急に売れ出し、20万部を突破するのではと言われる勢いの話題作、事実描写か純粋な小説かと意見が分かれています。
彼は、ミッテラン元大統領の甥で同性愛者として知られ、8日の仏テレビ番組に出演して、タイで同性 買春の事実を認めたが 「子ども相手はなかった 」 と発言、野党側は買春ツアーを正当化するものと批判、辞任要求に対して 「過ちはあったが、犯罪ではない」 、「買春ツアーや小児愛は非難する」 と反論した話などなど・・・。

さてさて、そんな話より、今日は、最高の日でした。
美術評論家のジェラール氏より以前からの約束と、貴重なオリジナル本をプレゼントして頂きました。
大好きな画家は一杯いますが、1930年、パリで初めてヨーロッパ幾何学構成主義絵画の作家達を集めた 『 Cercle et Carré 』 展を二人で企画した Michel Seuphor 氏と J.Torres-Garcia 氏は格別です。
その、Torres-Garcia 氏の Raison et Nature と言うタイトルの理論を書いた本をプレゼントして頂きました。
その本の表紙は版画でオリジナルもの(中身の45枚は、テキストと同様、ペンで描かれた絵も在り、正にオリジナル作品)で、パリのIMAN出版社より1932年に出版された手作りの最高級の宝物です。
  Torres-Garcia[3].jpg      Torres-Garcia[2].jpg      Torres-Garcia[1].jpg
Torres-Garcia氏は、パリに滞在してその後、アルゼンチンに帰り、南米の作家達に大きな影響を与えた事でも知られています。
特に、北ヨーロッパ生まれの理性的な冷たい幾何学構成絵画と言われる傾向の中で、温かい柔らかい素朴な作品を世に残しています。

Paris News でポンピード・センターでのカンデインスキー大回顧展の紹介をしましたが、私がカンデインスキーを知ったのはいつ頃からか良く覚えていませんが当時、荻窪に在った東洋美術学校で末松正樹先生から抽象絵画の授業を受けた時(1967年頃)、初めてカンデインスキーの点・線・面、抽象芸術論、芸術と芸術家という本(美術出版社)を3冊を買い込んで読み始めたのを覚えています。
翻訳者は西田秀穂氏、当時東北大学の助教授、芸術と芸術家の共訳者、西村規矩夫氏は宮城学院女子大学助教授と本に記されていました。
どう言う訳か43年前に手に手に入れた3冊の本はパリの本棚に大切に置かれています。

点・線・面(美術出版社)抽象芸術論(美術出版社)Kandinsky 芸術と芸術家(美術出版社)

 

 

 

 

 

 


 

パリでは1972年、レアリテー・ヌーヴェルに初めて招待出品出来て1973年、私が27から28歳になる頃でしょうか、パリに住むドイツ人画家(国籍フランス人)Jean Leppien(サトル・ミュージアムに油絵と版画が収蔵されている画家)夫妻と親しくさせて頂き、華やかなカンデインスキー夫人( Nina Kandinsky ) を紹介して頂いた事が在りました。

ルピアン夫妻より頂いたカンデインスキーの本ルピアン夫妻はバウハウス(Bauhaus)でカンデインスキーやグロピュースの授業を受けていて当時のバウハウスの話を良く聞かさせて頂きました(モホリ・ナギとの共同作業などいろんな事を伺いバウハウスが近く成って来た時代です)、ジャン・ルピアンは当時、招待サロン・レアリテイー・ヌーヴェルの審査委員をしたり東京でも個展をしている方で、良く彼の企画する展覧会に招待されたり、そんな彼から一冊の本をいただいた事が在りました(ルピアン夫妻のサイン入りで)、パリで出版されているカンデインスキーのバウハウス時代の授業に使ったテキストをまとめたものです(3冊が出版されていてその内の一冊=解読するのに時間が掛かるだろうからと)、ロシア語、ドイツ語、英語のテキストから、フランス語に翻訳(当時のバウハウスで学んだ6人の生徒で共訳)、ルピアン夫妻はドイツ語テキストから
フランス訳にする事を担当、元々、ロシア語で思考され理論されたカンデインスキー先生のドイツ語のテキストの中に、非常に解りにくい所が一カ所在って悩んだあげく友人のロシア人に質問すると的確に言葉の意味と文体を指摘され(ロシア語とドイツ語のニュアンスの異なり)うまく理解出来てフランス語に訳せたと文章を書く人の国籍や環境、又、訳す人の環境、文化の相違と言語力で面白く変
化するものだと、絵画には言葉が必要ないが思考力と創造力、分析力、それに異国文化を知る事が芸術家には必要だと柔らかい厳しいアドバイを頂いた事が思い出されます。

その後、スザンヌ夫人が亡くなってからの話ですが、25、6年前でしょうか、彼の夏休み中(彼は南仏に近いイタリア側の国境近くに別荘を持って居たので毎年夏はそこに滞在)、誰も居ないパリのアトリエに泥棒が入り、彼のコレクションの30点近いアフリカのネグロ彫刻からカンデインスキー、クレー、ドローネー、モホリ・ナギ、マックス・ビルと言った彼の大切なコレクションが奇麗に盗まれて、残ったのは自分の作品とサトルとヌームールの絵だけだったと、泥棒は先を読める判断力が無い様で、只、現在の価値を知っている泥棒に違いないと、にこやかに話してくれて驚いた事が在りました。
アパートの向いの隣人は、引っ越しではと昼食過ぎに大型トラックに木箱の大きなケースを何個も持ち込んで正面のドアからきちんと運び出した様子、まるで映画の様な出来事、パリではありえる事なのです。

book 運慶論

2階の本棚の中段にミッシェル・フーコー(言葉と物 = Michel Foucault / Les Mots et Les Choses)の本と岡本謙次郎のウイリアム・ブレークと運慶論が並んでいます。
東京のSD会の皆さんと " 言葉と物 " や " 運慶論 " を読んだ事がありそのまま並んでいるのかなと思われます。

運慶論 著:岡本謙次郎 今日はその運慶論を久しぶりに開いてみました。
37年前に出版された本(1948年真善美社より出版、その後1972年に冬樹社より出版された復刊版)、その本の目次のページに、「復刊にあたって」 、「丁度二十五年前に書いた私の最初の本である。どういふわけか、ここ数年二、三の出版社から復刊のさそひがあったが、何といふこともなく、私には躊躇された。今度、友人の小島信夫を通して冬樹社の宮西忠正氏から話があった折には・・・・省略 」
運慶論の著者は岡本謙次郎、友人の小島信夫は、「わが友、岡本謙次郎はこの処女長編評論を二十六ぐらいの時に書いた、・・・・・岡本の出発となったこの評論は日本の戦後の出発ともなったのだと私はひそかにくりかし思っていたものだ。多くの戦後の作品はその価値を半減したが、これは違う。それは、彼が永遠を書いているからだ。私が驚いたのも、当時の私の物の考え方を遥かに越えた地点で物をいっていることを感じたからだったのであろう。・・・・・・・・それにしても、どうしてあの若さで書けたのか、不思議でならない。」 と書いた。

" われわれをあざむくのは外見でなくて、観念ー多少ともわれわれに都合の良い期待を含んでいる観念である。観念は二重の仕方でわれわれをあざむく。・・・"
私にとってこの本は創作活動の方向性を示してくれた思い出の本であり、61年過ぎた今日でも生き続けているそんな傑作の本だと思います。

私が13才の頃、我が家に世界名画全集の何冊かが在ったり、又、ルオーの画集とか在ってそれらの画集を良く眺めていました。その名画集などの著者の中に岡本謙次郎と言う名前が在ったとは覚えていなかったのですが、1973年の夏、岡本先生とパリでお会いした時、ルオーの画集の解説を書いた人物だと解り吃驚した事がありました。
当時、ニコラ・プッサン(1594~1665 フランスの画家)のふるさと、レザンデレ市の文化センターでの個展を見て頂いたり、その後、当時、新橋に在った現代抽象系美術の企画ギャラリー、第七画廊で個
展を1974年~80年迄3度個展と2度のグループ展を企画して頂き、その後、赤坂と銀座のギャラリーKで2度個展を企画して頂いた事があります。
私にとっては恩師であり、パリで東京でお会い出来、葉巻とコーヒー、トランプではブリッジ、サイコロではホワイブ・ダイス等を教わりながら先生が亡くなるまでおつきあいさせて頂きました。
美術評論家連盟初代会長を務め、岡本先生のお陰で、当時、日本で活躍している先輩の画家、彫刻家、造形作家、美術評論家等々を紹介させて頂きました(この話は、長くなりますので別の機会にさせて頂きたいと思います)。

2年前迄は我が家の本棚に在った、現代美術・一つのアンソロジー(版画入り・1980年、第七画廊出版)と、2階の階段の壁に飾って在った額付きの岡本先生の書(パリで宮城の白石和紙に墨で書かれた漢詩)は、多くの方に見て頂こうと Satoru Sato Art Museum に寄贈致しました。
岡本先生の詳しい業績は、このミュージアムのリンク集の欄に、 気まぐれ散歩路-岡本謙次郎の部屋のサイトが在ります。
明治大学で岡本先生の授業を受け、岡本先生から非常に信用されていた一番若い世代(当時は)の鈴木さんが作った貴重な資料です。

既に、私の本のコレクションの内、このブログで紹介した瑞枝ちゃんの "君を守って"の本が10年前に、千石さんの " 9・11/夢見る国のナイトメア 戦争・アメリカ・翻訳 " は、最新の出版物ですが、同じく千石さんの "白い鯨のなかへ" は19年前に出版されてます。
今日は更に古い22年前の出版物を本棚から取り出しました。

私は小さい時から忙しい時に限って他の用事をするらしいのです。だからいつも計画が遅く成るとおふくろに言われていましたが、今日も以前読んだ本を奥の本棚から取り出して、明日はパリの招待展、サロン・レアリテイー・ヌーヴェルの搬入日、早く準備をしなければと思いながらふと手にしたのが、"兄のトランク"(著者・宮澤 清六 出版・筑摩書房)でした。そして偶然にも本を捲っていたら手紙が出て来たのです。それは20年近く前に清六先生からご自分の本と手紙を添えて頂いたもので、それらは、私が在仏20周年記念として新潟の博進堂から出版させて頂いた佐藤達作品集を贈ったお礼のお返しでした。

兄のトランク  宮沢 清六 (著) " 謹啓 一昨日、突然あなたの作品集を送り下されびっくりしました。多分、あなたが、私の家においでになったのは、今から25年も前で、私は60才であなたは19才だったでしょうか。" (1989, 11,29日、清六先生から頂いた手紙の一部から)
以前に1969年10月、パリ国立高等芸術学校入試試験に合格して、先生に当時の様子をお知らせした時、健康に気をつけて絵を学んで下さいと励ましの手紙を頂いた事があり、その後、清六先生は文学、詩の研究以外に香の研究もなさっていて手紙に香水に似た香のする和紙を入れて送って下さった事もありましたが1971年以降は連絡する機会が無く1989年迄は音信不通で居た訳です。

先生が90才に成られた頃、花巻の宮沢賢治記念館を訪ねた後、久しぶりに宮沢清六先生宅を訪問しましたが90歳でも自転車に乗っていると元気におっしゃられていました。

そもそも私が19才の頃、東京の画学生仲間の落合さんの紹介で自分の手作りの詩集を清六先生に読んでもらいたく、花巻の先生宅を訪ねた訳です。
当時、応接間には鷹山宇一先生の絵が飾られ、丁度、賢治の水彩画と詩の展示会を東京で開催されるのでその準備をしている最中でした。運良く賢治の水彩画を手で持ってじっくり拝見させて頂き今でも鮮明に覚えている出来事でした。
文学少年に憧れた淡い少年時代、宮沢清六先生宅の庭で写した写真は今も私の小さな古いアルバムに飾られています。

  君を守って  スーザン・ヒル (著) 今泉 瑞枝 (翻訳) 君を守って(スーザン・ヒル著=翻訳・今泉瑞枝、出版社/YMS創流社)の紹介。
Satoru News で千石英世さんの翻訳の話に続き、白鯨は何度も読まさせて頂きましたが、今日は10年前に出版された翻訳の本、此れ迄、何度も眼をとおした "君を守って" The Bird of Night の小説の紹介です。
舞台は第一次世界大戦後2、3年後から1972年3月迄の、天才詩人フランシス・クロフトと彼との共同生活を良しとする友人ハーヴェイ・ローソンとの物語であります。訳者あとがきに私には難解のミッシェル・フーコーの事が書いてあったので、改めて読み直した事がありました(昔、東京のSD会の皆さんで読んだフーコーの事を思い出しながら)。
ヨーロッパ文学界のある精神的に侵された詩人の環境をスーザン女史が鋭く現代の男性社会を作り出しています。

翻訳者、今泉瑞枝女史は、旧姓・小平瑞枝、佐沼高等学校の同級生、仲間から瑞枝ちゃんと親しまれている優しい静かな芯の在る素敵な方で~す。

9・11/夢見る国のナイトメア 戦争・アメリカ・翻訳

何故か、一度、読んだ本をマラケシュ迄持参して、メキシコの建築家バラガンの建築に非常に近い(多分、バラガンの助手か、バラガンの影響を強く受けた建築家と思われます=バラガンはモロッコにも滞在した時期が在り、スペイン様式の革新者とも言われています)知人宅の建築は、広大な庭と水(プール)とトンネルの様な筒抜けの在る空間を活かし、天井が高く、配色もベイジュに少量の赤を入れた配色で統一され、感動を揺り動かす建築です。
風が通り抜ける広いテラスで、時には、庭のヤシ の樹の下で、じっくり読ませて頂きました。Sengoku[01].jpg

千石さんは、群像新人賞(ファルスの複層ー小島信夫論)を受賞、主な著書に「白い鯨のなかへ」、「アイロンをかける青年-村上春樹とアメリカ」、「異性文学論」、「小島信夫」等を書いており、確か、日本では10人目と成る訳書 「白鯨」があります。
アメリカ文学者、文芸評論家で、現在、立教大学文学部教授、それでありながら美術にも興味が在り、特に現代美術に関しては相当な好奇心を抱き、あちこちと歩き回っている方でもあります。

彼が東京日仏会館でのミッシェル・ロヴェラス氏の個展オープニングの時、ロヴェラス氏と会い、その後、カリブ海に浮かぶ、仏海外県グアドウルップに在るロヴェラス(フランス人画家で彫刻家)のアトリエを訪ねた時、マリーズ・コンデとロヴェラスが親しい事が解り、Rovelas[01].jpg多いに千石さんが喜んだとニューヨークから国際電話を頂いた事がありました。確かにロヴェラス氏の作品集に推薦文を書き、奴隷解放を訴える素晴らしい女性文学者です。

「9・11/ 夢見る国のナイトメア」を読んでいると千石さんと話している様な雰囲気で、
I・戦争するアメリカや、II ・アメリカと言う身体、では彼のフットワークが鋭く光っていました。
III・翻訳から文体へ、は、なかなか普段気にせずに読んでいる翻訳された小説の読み方捉え方迄、妙に納得させられたりと言う感じでした。

カレンダー

アーカイブ

Satoru Sato

サトル・サトウ
画家・造形作家
パリに滞在して40年、
画家・環境造形作家として、
アートに専念しています。

Satoru Sato Art Museum

Counter

Total  : 
Today    : 
Yesterday: 


QR Code







このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちBookカテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリはExhibitionです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。